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製作総指揮ダグ・リーマン インタビュー

パイパーのキャスティングが決定した時点で
このドラマのヒットは約束されていました。

photoQ.映画製作時の脚本と1時間のTV用作品における脚本の違いは何ですか?
A.昨今の映画ではキャラクターを中心に物語を作り上げることは難しくなりました。現代において、主人公が人間でなく、おもちゃかスーパーヒーローでない限り映画製作会社も資金を投じない、という流れになってきました。TVドラマが、なんと言うか…生身の人物像を描写できる最後の安全な場所になってきました。視聴者が毎週同じドラマを見てくれる理由は、大作を見たいからではなくパイパー・ペラーボと役柄の成長を見るのが楽しみだからです。
映画の場合は仮にストーリーやキャラクターが充実していなくとも、ビジュアル・エフェクトを駆使すればごまかすことができるのです。しかしTVドラマの場合はキャラクターに頼る以外に方法がないことを皆知っています。私は人物描写をするのが好きです。とてつもなく大きなキャンバスに描いていきます。もし成功したら、その役柄を何年にもわたって描き続けられます。映画では絶対にかなわないほどの大きなキャンバスなのです。
私は映画においても人物像を中心に作品を製作できる自分自身に誇りをもっています。私の映画がヒットする時は必ずキャストと彼らの役柄がぴったりとハマった時なのです。すべての監督やプロデューサーがやっている事ではないのです。ハリウッドの大作を製作する時も、私は役柄やそのキャラクターを大切にすることが多いです。ということから、TVドラマは私が自然に製作に打ち込める場所なのです、なぜなら役柄やキャラクターに頼る以外に方法がないですから。

photoQ.キャストの役作りをする上で、特に努力している点はありますか?
A.役を役者に合うように作り上げていくプロセスは、役者とワークショップをする手法に近いです。しかし映画では逆にそれが弊害になることがあります。ところがTVドラマの場合本質的にそのプロセスを通る必要があるのです。パイパーを起用した瞬間から彼女にはどんなキャラクターがピッタリ合うのか模索していきます。そしてそれをもとにストーリーを書くのです。すると徐々に洋服をオーダーメイドするような行程になってきます。放送期間が長いのがTVですから、その分だけ長く続いていきます。「コバート・アフェア」のシーズン1で描くキャンバスのサイズは、『ボーン・アイデンティティー』と続編2作を足した大きさよりも大きいことになります。そしてオーギー役(クリストファー・ゴーラム)にも同じことが言えます。TVでは基本的には毎週、何がピッタリくるのかを見直すことが可能です―その観点からさらに毎日長所を生かすようにストーリーを描いていくのです。

photoQ.「コバート・アフェア」は多少現実が創作上誇張されている部分があると理解していますが、“現実”と“創作”との境界線をどのように引いていらっしゃいますか?
A.良い質問ですね。私がこのドラマにおいても現実の世界においても非常に好きな部分があります。スパイの世界と私たち一般人が生活しているこの世界とが交わる特別なスポットが存在する、という部分です。現実の世界にそんなスポットが存在する、と考えただけでワクワクします。たとえばハドソン河で活動していたスパイが私を含む一般人とどのようにコネクトされているか、そしてどんな共通点が我々とあるのか。現実の世界に住む私は、すごくワクワクします。そして私の映画の中の世界にもワクワクします。私が『ボーン・アイデンティティー』の製作にとりかかった時、最初に自分自身に問いかけた質問が「なぜジェームズ・ボンドは電話の請求書や家賃を納めるシーンが1つもないのだろう?」という疑問点でした。それからずっとその疑問を忘れずにいます。
ですから私にとって創作上の「コバート・アフェア」の世界と現実の世界との唯一の境界線は、主人公の彼女が仕事から帰宅するごとに現実に戻らなければならないという部分でした。エピソードの冒頭部分であってもエンディング部分であっても真ん中あたりであっても、そうでなければならないのです。彼女が一般の私たちが暮らしている世界に帰宅するごとに戻れるならば、視聴者が思いつく限りの最も危険な作戦でも遂行させられるのです。もし彼女が帰る世界が非現実的であったら、私たち製作側は「ちょっとやりすぎた」と気づくでしょう。それが私の描く境界線です。

photoQ.あなたは総指揮としてアクションという側面から、どのような手法で『ボーン』シリーズを構築し、そしてその勢いを衰えさせる事なく、今作でパイパーの役を視聴者に共感させるまでに至ったのですか?
A.パイパーの配役は、共感という観点から非常に重要でした。『ボーン・アイデンティティー』のマット・デイモンの配役と同等に重要でした。2人とも視聴者からとてつもない共感を引き出すことができる役者です。生まれ持ったモノです。そのモノに視聴者は共感し、応援したくなってしまうのです。
そしてもう1つは、たとえば『ボーン・アイデンティティー』では作品のジャンルにはっきりとした方向性を持たせたかったのです。先ほども言いましたが、常にシンプルなことを頭の片隅に置いておくのです。ジェームズ・ボンドにはなぜ電話料金が請求されないのか、などです。そして私たちはそこからさらに一歩進み「ではなぜジェームズ・ボンドはカーチェイスをするといつもギリギリで車をぶつけないのだろう?」という発想にたどり着きました。彼はいつもギリギリで車をぶつけないで済むのです。ところが現実の世界だとそうはいかない。現実の世界では車を何万回もぶつけるでしょう。そして最終的には車はボコボコになるはずです。そこには「ジェームズ・ボンドは絶対に車をスリップさせ、ギリギリでぶつからないのである」というシンプルな法則があるのです。そこで私は『ボーン・アイデンティティー』を車がスリップしてギリギリぶつからなさそうに見せておいて、ボカーン、という感じの映画に仕上げたかったのです。彼はぶつけてしまいます。なぜなら彼も人間ですから。
そのような法則を残しつつ「コバート・アフェア」は非常に明確な方向性をもとに描くよう努力しました。この作品の場合、パイパーは新人CIA諜報員アニー・ウォーカーを演じるのです。新人だから彼女は完璧でいてほしくないのです。彼女は優秀で見込みもありますが、そんな完璧でない面を持ち続けてほしいのです。第8話を撮影する時も同じです。パイパーにとっては確かに過去7話分の撮影経験があるでしょうけど、彼女が危機を切り抜けようとして挑戦することすべてが常にうまく行くとは限らない、という方向性は変わりません。
「コバート・アフェア」の明確な方向性を確立したならば、今度はそれが道標となりそれにあったアクションを撮ることができるのです。それが人物描写の一部になります。シリーズ撮影における私の役割の1つが、各エピソードの監督1人1人とじっくりアクションシーン1つ1つの打ち合わせをし、このドラマの真の方向性は何かを確認し合うことです。
photo シーズン1の第6話はアレックス・チャペル監督がボートハウスでの格闘シーンを撮影しました。そこで照明弾を手に取り格闘するシーンがあります。照明弾はメタル製が良い、とアレックスはいいました。私は偶然ボートについて少し知識があり、照明弾はメタル製ではないことを知っているのです。必ずプラスチック製で蛍光色です。彼は「もしアニーがプラスチックの筒で誰かを殴ってもダメージが少ないんじゃないか?」と言いました。そこです、そこにこのドラマの価値があるのです。私たちは現実的でないといけません、プラスチック製の照明弾で誰かを殴っても、筒が割れてしまうだけなのです。そこではじめて皆気づくのです。これがこのドラマの本当の方向性なのです。これがアクションシーンを作り上げる発想のもととなっています。